仕事と親の介護の日々について

仕事と介護の日々 🥀介護のこと

親の介護は、思ったよりずっと早く始まった

「親の介護」というと、もっと先の話だと思っていました。

定年後とか。
自分が40代や50代になってからとか。
まさに40代、50代でその問題に向かい合ってる方も多いと思います。

でも私の場合、そのピークは20代後半に訪れました。

まさかそんな若さで自分が介護という大波に巻き込まれるとは思っていませんでした。
まだケッコンもしてないのに(笑)。

まったく人生ってやつは、予想通りにはいかないものです。


第1波は父の入院だった

もともとお酒が好きでよく飲んでいた父でしがた、
当時は58歳くらいだったか?定年で仕事を引退してからはアルバイトもしていながら
家にいることが増えた頃から、お酒を飲む量が増えていました。

もともと、たぶん体はお酒には強くなくて
それまでにも何度か胃をやられて入院とかも何度かあったひとではあったのですが。

ある頃から、布団から起き上がれない日が数日あったようでした。
私はその少し前から家をでて一人暮らしを始めていたのですが
心配もあり時々顔を出していました。

調子悪いなら、ちょっと診てもらおうよ、と説得して
しぶしぶながらも病院でつれていくことに成功。

診てもらった結果は肝硬変。
自力で歩くこともままならなかったこともあり、
そのまま入院となりました。

そこから約1年半。父の「終わりある」入院生活がスタートしました。


仕事と病院を往復する毎日

当時の私は会社員8年目ほどでした。

朝は仕事へ行き、
終業後は病院へ向かう。
洗濯ものを持ち帰り、
朝は乾いた洗濯物を持って仕事へ向かう。
(車通勤なので荷物の持ち運びは大変ではなかったです)

そんな毎日が続きました。

仕事を終えて病院へ行き、
帰宅して眠り、
また翌日仕事へ向かう。

今振り返ると、
あの頃は目の前のことをこなすだけで精一杯でした。

介護という言葉はまだ自分の頭にはなかったと思います。
一日一日を続けていくことだけで頭はいっぱいでした。


父の入院中に訪れた第2波

そんな生活が半年ほど続いたある冬の日、

家族全員が風邪をひいたことがありました。
私には当時既に家庭のある兄がいて

そのときはなぜか入院中の父以外の全員が発熱。
まずは兄夫婦から発熱で見舞いにいけない、との連絡。
病院から徒歩距離の家にいる母も病院に来ないと思ったら
どうも体調がわるい様子。

親の家に行ってみたところ、やはり母は発熱してました。

夜になり、おかゆを食べさせて就寝させようとしたところ
・・・トイレを失敗。

熱のせいだと思い、着替えさせて寝かせ、
掃除をしました。

翌朝、さらに熱があがった様子。
声をかけても目を開けない。
そして救急車を呼ぶことに。父と同じ病院へ運んでもらいました。

実は以前から
(どのくらいのことが、どのくらい前からあったかも整理できないのですが)
気になる言動が増えてはいました。

特に父が入院後に起こったことを挙げると

・新聞の勧誘を断れず3紙も郵便受けに入っている
・買い物は紙幣しか出さず、おつりの小銭で財布がパンパン
・(一人のため)買って食べたお弁当などのごみが片付けられない
・一度つけたガスコンロの火が消せない(スイッチタイプ)
  ↑これは困ったと電話がきて、見に行ったら本当についたままだった。アブナカッタ。

でも当時は、まだ介護保険も開始前。

そして母本人はまだ60歳にもなっていない。

まさか認知症だなんて、考えもしませんでした。


59歳で認知症と診断された母

とりあえず高熱だった母は病院に数日入院となりましたが、
病院でも行動が少しおかしいとのこと診てもらった結果、

母は認知症と診断されました。
当時はまだ「痴呆症」と呼ばれていた時代です。

59歳。

介護が必要になるには早すぎる年齢でした。

正直、何でいっぺんにこんな大波が押し寄せてくるのかと。

父は入院中。状態はよくなったり悪くなったりの繰り返し。

母は認知症。これからどうなるのかわからない。

しかし逃げようもなく現実でした。
次々に湧いて出る課題にただ立ち向かっていただけの毎日だったように思います。


仕事を辞めるという選択肢はなかった

当時の私は、

仕事を辞めようとは考えませんでした。・・・まったく(笑)。

というより、
辞めるわけにはいかなかったのです。

生活もあります。
将来への不安もあります。

だから働き続けながら介護をする。
それしか選択肢がありませんでした。

大変ではありましたけど、一方で仕事をしていることに
メリットもあったのです。

仕事をしている間は「介護」や「親」のことから離れられたこと
会社の中に役割があることで、自分の軸を支えられたこと

これは自分の中でかなり重要なことだったと、今でも思います。


一人で抱え込まなくてよかった

結果的に20年ほどとなった母の介護は、

老健、デイサービス、ショートステイなど、
利用できる制度を少しずつ使いながら続いていきました。

ちょうど介護保険が始まったころでもあり、
まだ認知症が重くなかった頃から施設を利用できたことも幸いでした。

介護保険の関係で、老健の厚意での入所継続が難しくなったこともありましたが、
その後、運よく…と言ってよいのか
とても親切な介護をしてくださる
特別養護老人ホームへ入所することもでき、

結局母はそこで天寿を全うしました。

もし家族だけで抱え込んでいたら、
とても支え続けられなかったと思います。

当時はまだ
施設を利用するなんて、という風潮も残っていましたが
そんなことを言っていられない現実がありました。

そして私も兄も仕事を続けることができて、
甥も姪も生まれて元気に育ちました。

介護は、助けてもらえる場所があるなら、
遠慮なく頼っていい。

頼ってほしい。

そう思います。


あの頃の自分に伝えたいこと

介護中の私は、

いつも何かに追われていました。

仕事。

病院。

母のこと。

将来への不安。

立ち止まる余裕なんてありませんでした。

今振り返ると、

あの頃の私は十分頑張っていたと思います。

もっとできることがあったかもしれない。

もっと何かできたかもしれない。

そんな後悔がゼロとは言えません。

それでも、

その時できる精一杯をやっていたのだと思います。


おわりに

親の介護は、

ある日突然始まることがあります。

しかも思っていたよりずっと早く。

私の場合は20代後半でした。

父の入院。母の認知症。仕事と介護と自分の生活。

振り返れば大変な日々でした。

それでも一つだけ確かに言えるのは、

一人で頑張ろうとしなくてよかったということです。

家族だけで抱え込まず、

周りの力を借りながら暮らしてきたこと。

それが、長い介護の日々を支えてくれました。

父の入院時に本当に本当にお世話になった先生&看護師さんたち

何も受け答えできなくなっても最期までやさしい声をかけてくださった
特養の介護士や看護師さんや職員の皆様

あらためて感謝をお伝えしたいです。

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